080919 ★080919 生きると言うこと
我々生き物たちは、この地球で生まれ、地球で死んでいく。「生きる」と言うことはどう言うことだろうか。生まれた以上は生きる「権利」がある。権利があるから当然「義務」もある。「生きる権利」とは何か、「生きる義務」とは何か。生きる権利とは、他の生き物を殺して食べてもよいことだ。しかし、自分もまた殺されて食べられることを意味する。これが「食物連鎖」だ。地球の生態系は、この食物連鎖で保たれている。それじゃ生きる義務とは何か。これは太陽系宇宙の「掟(オキテ)を守ることだろう。掟とは「なすがまま、自然に身を任す」ことだろう。だが、この掟を守っていないのは人間だけだ。人間は人間だけ特別扱いをしてきた。人間だけは許されると思っていた。だが神様は人間どもに大きな試練を課した。「地球温暖化」と言う、我々人間が経験したこともない試練に神様は、我々人間がどのように対応するか見守っていることだろう。
「生きる」と言ううことは、自分の「欲」を満たすことではないはずだ。そこにはおのずと制約があり、無制限に「欲」を満たすことはできない。そこで地球上の生態系をシステムとして考えることにする。地球上で生息できる生き物の数はおのずと制約がある。例えばある「種」が異常発生したとすると、それを「食」する生き物が多くなり、異常発生を止めるように働く、この結果正常に戻ることになる。これがいわゆる「生態系」だ。ところが人間の場合事情が異なる。人間は食物を生産する手法をあみ出した。このことで人口がうなぎのぼりに増えていった。人間は「欲」を満たすために新たな手段を手に入れてきた。そして地球上で天下を取った。人間以外の生き物はいわば身のうちを知っていて、限度をわきまえている。ところが人間は「欲」の突っ張りでいっこうに反省の余地がない。このことが悲劇の始まりでもあったのだ。
昨今では資本主義の世の中で、経済ばかりが一人歩きをしてさまざまな波紋を投げかけてきた。不景気になるとやれ内需だの、やれ景気回復だのとまくし立てていやおうがなしに消費を促す、浪費社会へとの様相を呈してきた。これを見てもわかるように消費(浪費)がいかに矛盾した社会であるかがわかるだろう。このような社会は早くやめなければならない。
私がこの「間違いだらけの世の中」で最初に指摘したものが、1)地球のおきてであり、2)人間の限りない欲望であり、3)資本主義であった。紛れもなくこの三つが「間違いだらけの世の中」の張本人だ。私が生きている限りこのことを一つひとつ明かしていきたい。
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